被災当時、1つの避難所には1500~2000人の人たちが避難しており、立錐(りっすい)の余地もないくらいでした。ここで意外な問題だったのが、トイレの問題だったのです。地震で断水しているため、水洗トイレはものすごい状況でした。そこで、全国から仮設トイレを持ってきてもらうことにし、バキュームカーをフェリーで全国から運んでもらうことにしました。ちなみに、震災後に被災者に実施したアンケートによれば、一番困ったことの1位はトイレ用水でした。第2位が水と食料、第3位は電話の不通。水と食料よりも、トイレの問題は深刻だったのです。

災害時のトイレ問題は切実
神戸市を中心とする被災地は、一部を除いてほぼ全域で断水し、復旧するまで早い地域でも1週間、遅いところは1カ月以上かかった。人が最低限生きるために水と食料は無くてはならないものだ。だから全国から応援に来た自治体職員や自衛隊は人命救助や負傷者の救護と並行して、給水と食料の配給に全力を注いだ。大阪など周辺都市のコンビニから一時、ペットボトル飲料水が消えるほど、ボランティアや被災者の知り合い、親せきらも飲料水を次々と運びこみ、飲料水と食料はまず配給されていた。ところが、トイレの排せつ物を流す水までは、とても余裕はなかったのである。
多い時で1200人以上が避難した神戸市東灘区のある小学校。幸運なことにそこには、プールに水があり、ボランティアや元気な男性らが毎日バケツリレーで水をトイレまで運び、便を流す時だけ使った。排水溝がつまるため、紙は便器のそばのごみ袋に入れ、いつの間にか、それがグラウンドの隅に山のようになっていった。やがて仮設トイレが少しずつ運ばれたが、回収するバキューム車は来ない。「使用不能」の張り紙だけが増えていったという。阪神大震災の場合、周辺都市も水洗化が進んでいるため、全国からバキューム車を手配しなければならず、3月になっても20台程度が精いっぱいだったのである。
約800人が避難した別の小学校では、校庭に穴を掘って板を渡し、シートなどで囲って応急トイレも作った。掘っては埋める繰り返しだが、とても間に合わなかったという。仮設トイレは、それなりに機能はしたが、構造上地面から段差がかなりあり、しかも和式なので足腰の弱った高齢者や障害者にはつらかった。真冬で避難所の体育館などは寒く、それでなくても高齢者はトイレが近い。中には「誰かに手伝ってもらわなトイレに行けへんから、水も食べ物もいらん」と言い、体が衰えてインフルエンザにかかるお年寄りも見られた。
私たちは断水によって「出て当たり前」だった水を失っても、「出て当たり前」の排せつ物を止めることはできない。それが、人間が生き物であるという証拠だ。都市の災害を考えるとき、ライフラインにトイレを加える必要もあると感じたのも阪神大震災だった。
(参考商品) 種類も豊富になった「簡易トイレ・緊急トイレ一覧」 (地震防災ネット)