繰り返し起こるプレート型地震においては、過去の被災状況を把握しておくことも、次の大地震に備えるうえで、非常に大切なことです。津波被害が深刻だった昭和21年の昭和南海地震。徳島市がまとめた体験談から一部抜粋のうえ掲載させて頂きます。

津波被害(2mの堤防を乗り越える船)
私の家は、昔の中二階建てで、この辺りの家は、全部で60戸くらいしかなかった。ほとんどが田圃で、その間にポツポツ家があった程度だった。地震の揺れは、かなりのものだった。当時、私の父親が「こんな大きな地震は生まれてこのかた初めてじゃ」と言っていたのを覚えている。揺れの方向は、特に横揺れがひどかったように思う。近所の米の土蔵が半壊したのを覚えている。
近所の佐々木さん宅の隣に小さな消防ポンプと半鐘があり、警防団の人がその半鐘を激しく叩いていたのを聞いて、津波が押し寄せてくることを知った。津波が押し寄せてくるときに沖の方から「ゴーッ」というものすごい音がした。5回くらい、引いては寄せる激しい音がしていたように記憶している。津波は、2回目が大きかった。
私の父親は、家で飼っていた農耕用の牛を連れ、母親は、小さい子供たちを連れて、大原町の千代ヶ丸山へ避難した。私は当時十八歳くらいだったので、津波で家財道具が流されないように、家の戸締まりをして、あとから家族を追いかけた。突然のことだったので、裸足のまま夢中で避難したが、冬の寒い朝であったため、ひどく足が冷たかったのを覚えている。
今後の教訓としては、(1)あわてず冷静に判断をすること、(2)できるだけ広くて高いところへ避難すること(しかし、車で逃げるのは返って渋滞を招くおそれがあるので、車はやめた方がよい)、(3)ブロック塀には近づかないように避難すること、(4)履物を履いて避難すること、(5)常に家族と災害について話し合っておくこと、を伝えたいと思う。
(参考記事)昭和南海地震 高知市の震災記録