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	<title>東南海地震・南海地震　大地震発生の可能性は？ &#187; 過去の大地震 - </title>
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	<description>過去の津波被害／予測・予知情報</description>
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		<title>宝永地震「４連動」「５連動」説　富士山噴火も</title>
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		<pubDate>Thu, 22 Dec 2011 06:16:36 +0000</pubDate>
		<dc:creator>東南海・南海地震</dc:creator>
				<category><![CDATA[★東南海・南海地震の可能性]]></category>
		<category><![CDATA[東南海・南海地震ニュース]]></category>
		<category><![CDATA[過去の大地震]]></category>
		<category><![CDATA[マグニチュード9]]></category>
		<category><![CDATA[安政東海地震]]></category>
		<category><![CDATA[宝永地震]]></category>
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		<category><![CDATA[５連動地震]]></category>
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		<description><![CDATA[西日本における東日本大震災級の大津波地震はこれまで、東海・東南海・南海地震の３連動地震＝マグニチュード（Ｍ）８・７＝のことを指し、国はこの見解にもとづいた被害予測を公表してきた。しかし、国内最大級のＭ９となった東日本大震 [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>西日本における東日本大震災級の大津波地震はこれまで、東海・東南海・南海地震の３連動地震＝マグニチュード（Ｍ）８・７＝のことを指し、国はこの見解にもとづいた被害予測を公表してきた。しかし、国内最大級のＭ９となった東日本大震災の発生に伴い、国が新モデルを示すなど、現在見直し作業が進められている。その鍵を握るといわれている宝永地震（１７０７年）の謎に迫った。<span id="more-426"></span><br />
　</p>
<p><strong>◆定説覆した東日本<br />
</strong><br />
　江戸時代に起きた宝永地震はこれまで、記録が比較的多数残っていることなどから「（記録上）国内最大級の地震」（推定Ｍ８・６）とされてきた。</p>
<p>　国の中央防災会議は平成１５年、安政（１８５４年の南海、東海・東南海）や昭和（１９４４、１９４６年）など宝永地震以降に発生した５つの海溝型地震を対象に、３連動地震モデルを提示。２万人以上の犠牲者が予測されるなどとして警戒を呼びかけてきた。</p>
<p>　しかし、東日本大震災の発生で、国内で起きないといわれてきたＭ９地震が現実のものとなったため、３連動地震モデルに対し、地震研究者などから疑問の声があがり始めた。</p>
<p><strong>　◆Ｍ９超級か？<br />
</strong><br />
　昨年１０月の日本地震学会（静岡市）では、「宝永地震は３連動地震ではない」との声が相次いだ。</p>
<p>　宝永地震は、安政東海地震と駿河湾周辺での地震の起こり方が似ているとされてきたことも３連動地震の根拠となってきたのだが、地震予知総合研究振興会の松浦律子氏は「過去の研究や文献を精査した結果、東海地震について安政と宝永は様相が異なる。宝永でも東海地震が起きたとの思い込みだった可能性がある。宝永と安政の地震の規模の違いはあまりにも大きい」と指摘した。</p>
<p>　また、静岡大学防災総合センターの石川有三客員教授は、宝永地震の震度分布と、発生から１カ月間に、余震が起きた地域の面積を東日本大震災と比べた。</p>
<p>　その結果、震度６だったエリアは、宝永地震が５９０キロで東日本大震災の５００キロを上回った。また、余震域の面積は、東日本大震災の１・４倍だった。</p>
<p>　こうしたことから、石川客員教授は「宝永地震の震度はＭ９・１～９・３の大きさだった可能性が高い。宝永地震は３連動などではなく、全く別の超巨大地震だったかもしれない」と結論づけた。</p>
<p><strong>　◆モデル見直しの鍵<br />
</strong><br />
　東京大地震研究所の古村孝志教授は、九州の大分県・龍神池に残る津波による堆積物が４００～６００年前のものだとする高知大の岡村真教授らの研究成果などから、宝永地震の震源域が、従来想定されていた震源域の西端が高知沖ではなく日向灘沖だった可能性を指摘した。</p>
<p>　さらに、東日本大震災の地震のメカニズムなども参考に、この宝永地震と、震度は大きくないが津波被害をもたらした慶長地震（１６０５年）が同時発生した地震モデルを示した。</p>
<p>　それによると、地震の規模はＭ８・８で、平成１５年に国が示した３連動地震よりも「津波の高さは倍の最大２０メートル級になる」可能性があるという。</p>
<p>　こうした研究成果から、国の中央防災会議が昨年８月に設置した「南海トラフの巨大地震モデル検討会」が１２月２７日、暫定の中間とりまとめを発表。</p>
<p>　古村教授らのモデルをさらに、群発地震が起きている紀伊半島、四国の内陸側に広げるＭ９規模の新モデルを提示した。</p>
<p>　今春にも最終報告が行われ、来年度中にも、その新モデルによって新たな「西日本大震災」の被害想定が示される見込みだが、地震や防災研究者の間からは、「これまでのようにひとつのモデルでひとつの被害想定を出すと、また、東日本大震災のように『想定外』の状況をつくりだすことになる」と、国に対して慎重な対応を求める声があがっている。</p>
<p><strong>　■宝永地震「４連動」「５連動」説も<br />
</strong><br />
　江戸時代の宝永４（１７０７）年１０月４日の昼すぎ、静岡以西の太平洋沖を震源として発生。推定マグニチュード（Ｍ）は８・６、その震源域の長さは７００キロ（東日本大震災は５００キロ）との指摘もある。</p>
<p>　古文書の記録などから地震や１０メートル前後の津波による犠牲者は２万人ともいわれるが、大阪だけでも数千人以上という見方もあり、定かではない。</p>
<p>　国の想定では、東海・東南海・南海地震の「３連動地震」とされるが、日向灘沖もしくは慶長地震の震源域（南海トラフ沿い）を含め「４連動地震」とする見方や、日向灘と慶長型を別々の震源域ととらえ、「５連動地震」とする研究者もいる。宝永地震の発生後約５０日あとに、富士山も噴火（宝永の大噴火）した。</p>
<div id="attachment_430" class="wp-caption aligncenter" style="width: 410px"><img class="size-full wp-image-430" title="宝永地震の被害は関東～九州まで広範囲" src="http://nankai-jishin.com/nankai1/wp-content/uploads/2011/12/houei.jpg" alt="宝永地震の被害は関東～九州まで広範囲" width="400" height="393" /><p class="wp-caption-text">宝永地震の被害は関東～九州まで広範囲</p></div>
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		<title>昭和南海地震から65年　体験談から教訓を学ぶ</title>
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		<pubDate>Wed, 21 Dec 2011 06:56:33 +0000</pubDate>
		<dc:creator>東南海・南海地震</dc:creator>
				<category><![CDATA[大地震に備えよう]]></category>
		<category><![CDATA[過去の大地震]]></category>
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		<category><![CDATA[経験談]]></category>

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		<description><![CDATA[1946年12月21日に発生した昭和南海地震から65年。和歌山県串本町の沿岸にも津波が押し寄せ、同町串本の袋地区では逃げ遅れた子ども4人が犠牲になり、多くの家屋が流失した。当時、袋地区に住んでいた2人の女性の体験談をご紹 [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>1946年12月21日に発生した昭和南海地震から65年。和歌山県串本町の沿岸にも津波が押し寄せ、同町串本の袋地区では逃げ遅れた子ども4人が犠牲になり、多くの家屋が流失した。当時、袋地区に住んでいた2人の女性の体験談をご紹介します。<span id="more-445"></span><br />
<strong> </strong></p>
<p><strong>■「津波の音忘れられない」　</strong><br />
　同町串本の大水崎地区に住む西栄子さん（76）は、津波で当時6歳の妹、香津子さんを亡くした。地震は午前4時19分に発生。強い揺れを感じ、揺れが収まった後、外に出た。近所の男性が「津波が来るぞ」と大声で叫んでいるのを聞いた。栄子さんは7人きょうだいの長女。幼い弟や妹は両親が手を引いたり、背負ったりして逃げ、他のきょうだいはそれぞれ走って裏山へ向かった。</p>
<p>　津波の第1波は「シャブシャブ」と静かな音を立てて足元をぬらした。一番先に家を出た栄子さんは家族の中では最初に裏山に上がったが、続いて上がってきた次女は服がぬれていた。きょうだいを連れた父母は体が浮き上がるほど波を受けたが、何とか逃げた。波は次々にやって来て、第3波が最も高かった。「ギイギイ」と家が流される音が聞こえた。</p>
<p>　家族がようやく逃げおおせたと思ったところで、五女の香津子さんがいないのに気付いた。父親が伝馬船で付近を探し回った。8日目、近所の子どもらが「人形みたいなものがある」と騒いでいたので見てみると、造船所の宿舎の近くで香津子さんの遺体が見つかった。傷は少なく、きれいなままだった。体を湯でふき、通夜もしないで墓へ埋めた。</p>
<p>　栄子さんは「自分は必死で逃げたが、もしあの時周りが明るかったら、逃げ遅れた妹を助けに行って一緒に流されていたと思う」と話す。</p>
<p>　袋地区は造船所があったため、太平洋戦争で空襲を受けた。栄子さんら家族も焼き出され、ようやく建てたばかりの家がまた津波で流された。「当時は地震や津波の知識がなく、災害時の援助も少なかった」と振り返る。「津波の静かな音や、流された家のきしむ音が忘れられない。もしまた津波が来たらパニックになり、訓練みたいに落ち着いて逃げられるか分からない」と語った。</p>
<p><strong>■家族で裏山の防空壕に</strong> </p>
<p>　現在も袋地区に住む上家晴子さん（98）は当時、両親が強い揺れに気付き「津波が来るぞ」と、家族4人で裏山に残っていた防空壕（ごう）に避難した。空襲で自宅が焼け、当時は少し離れたやや高台の家に住んでいたが、床上浸水していた。近所では、家ごと流されて中にいた3人の子どもが亡くなった。「戦争で夫を亡くしていたので生活が苦しく、津波の後も自分たちのことで精いっぱいだった。この地区では子どもが亡くなった。本当に気の毒に思う」と語る。</p>
<p>　上家さんは避難用のヘルメットや、防災グッズを入れたリュックサックを用意してすぐに逃げられるようにしている。自宅近くの裏山に避難路があり、昭和南海地震の津波跡（標高7・89メートル）が記されている。「避難路の階段は古く、自分も足が弱いので避難できるかどうか分からない」と話している。</p>
<p>　<a href="http://www.town.kushimoto.wakayama.jp/contents-data/bousai_syobo/nankai/index.html" target="_blank">串本町のホームページ　「1946年南海地震の記録～体験者の証言から」</a></p>
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		<title>「宝永地震」（１７０７年）はマグニチュード（Ｍ）９クラス</title>
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		<pubDate>Tue, 18 Oct 2011 05:02:04 +0000</pubDate>
		<dc:creator>東南海・南海地震</dc:creator>
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		<description><![CDATA[東海・東南海・南海地震の震源地になるとされる南海トラフ（海溝帯）で江戸時代に起こった「宝永地震」（１７０７年）はマグニチュード（Ｍ）９クラスだった可能性が静岡大学防災総合センターの石川有三客員教授の研究で判明し、１２日、 [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>東海・東南海・南海地震の震源地になるとされる南海トラフ（海溝帯）で江戸時代に起こった「宝永地震」（１７０７年）はマグニチュード（Ｍ）９クラスだった可能性が静岡大学防災総合センターの石川有三客員教授の研究で判明し、１２日、静岡市で始まった日本地震学会で発表された。宝永地震はこれまで、Ｍ８・６で西日本最大の地震とされてきただけに、今回の研究成果は東海・東南海・南海地震対策に影響を与えそうだ。<span id="more-409"></span><br />
　</p>
<p>石川客員教授は「東日本大震災の発生により、Ｍ９地震の震度分布や、その後の余震の震度分布が明らかになったことから、宝永地震との比較が可能になった」としている。</p>
<p>　石川客員教授は宝永地震による震度分布と発生から１カ月間に余震が起きた地域の面積を東日本大震災と比べた。その結果、震度６だったエリアは宝永地震が５９０キロで東日本大震災の４５０キロを上回った。余震域の面積は東日本大震災の１・４倍だった。</p>
<p>　こうしたことから、石川客員教授は「宝永地震の規模はＭ９・１～９・３の大きさだった可能性が高い」としている。</p>
<p>　東海・東南海・南海地震をめぐっては東日本大震災後、宝永地震の震源域が日向灘沖まで広がっていた可能性が指摘されたり、大きな津波被害を起こしたとされる慶長地震（１６０５年）タイプと宝永地震タイプが連動した地震が発生する可能性なども新たに検討されたりしており、Ｍ９クラスの地震モデルの構築が進められている。</p>
<p>　しかし、石川客員教授は「従来の宝永地震だけでも東日本大震災より大きな地震だった可能性がある。新しい地震モデルを求めることより、宝永地震がどのような被害をもたらしたのか、実態を改めて調査検討し直す必要がある」としている。</p>
<p>　この日、石川客員教授の発表に先立ち、地震予知総合研究振興会・地震調査研究センター解析部の松浦律子部長も「東海・東南海・南海地震が３つ連動したと考えられてきたが、宝永地震に関する過去の研究や文献を精査した結果、全く別物の巨大地震だった可能性がある」とし、宝永地震を再調査する必要性を訴えた。</p>
<div id="attachment_411" class="wp-caption aligncenter" style="width: 510px"><img class="size-full wp-image-411" title="宝永地震は東日本大震災に匹敵？" src="http://nankai-jishin.com/nankai1/wp-content/uploads/2011/10/houeijishinsingen.jpg" alt="宝永地震は東日本大震災に匹敵？" width="500" height="255" /><p class="wp-caption-text">宝永地震は東日本大震災に匹敵？</p></div>
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		<title>東日本大震災　巨大地震の謎は解明できたのか①</title>
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		<pubDate>Sat, 15 Oct 2011 04:24:32 +0000</pubDate>
		<dc:creator>東南海・南海地震</dc:creator>
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		<category><![CDATA[スーパーサイクル説]]></category>
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		<description><![CDATA[世界最大級のマグニチュード（Ｍ）９・０が襲った東日本大震災。日本ではあり得ないとされた巨大地震は、なぜ起きたのか。この謎を説明する「スーパーサイクル説」を東大地震研究所の佐竹健治教授が提唱、大震災に至る長期的なシナリオが [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>世界最大級のマグニチュード（Ｍ）９・０が襲った東日本大震災。日本ではあり得ないとされた巨大地震は、なぜ起きたのか。この謎を説明する「スーパーサイクル説」を東大地震研究所の佐竹健治教授が提唱、大震災に至る長期的なシナリオが浮かび上がった。東北地方では７００年以上の周期で巨大地震が繰り返されていた可能性が高まっている。<span id="more-381"></span></p>
<p><strong>■浮上したスーパーサイクル説</strong></p>
<p>大震災の巨大地震は、東北地方が乗っている北米プレート（岩板）の下に太平洋プレートが沈み込み、両プレートの境界面が大きく滑って発生した。震源域は岩手県沖から茨城県沖の広い範囲に及び巨大なエネルギーが放出された。プレート境界は、普段はがっちりと固着してエネルギーをため込み、地盤のひずみが限界に達すると一気に滑って巨大地震を起こす。逆に言えば、地震がよく起きる場所はエネルギーを小出しにして蓄積しないため、一般に巨大地震は起きないとされていた。</p>
<p>　今回の震源地に近い宮城県沖は、Ｍ７・５程度の海溝型地震である宮城県沖地震が頻繁に起きる場所だ。にもかかわらず、はるかに巨大なＭ９ものエネルギーを、どのようにため込んでいたのか。</p>
<p>　佐竹教授は「滑り残し」現象に着目した。宮城県沖地震では、プレート境界は完全に滑り切るのではなく、滑らずに残る部分がある。同地震は平均３７年間隔で繰り返され、そのたびに滑り残しが「貯金」のように少しずつたまっていく。長い年数をかけて「満期」に達すると、全額が払い戻されるようにプレート境界全体が一気に滑り巨大地震が起きてリセットされる、というシナリオだ。</p>
<p>　巨大地震が繰り返されるこの長い周期を「スーパーサイクル」（超周期）と呼ぶ。つまり宮城県沖では、通常の海溝型地震と巨大地震の２つのサイクルが存在するという考え方だ。</p>
<p>　過去の宮城県沖地震における滑り量と太平洋プレートの沈み込み速度から、貯金に相当する滑り残し量を年間２・６センチと算出。東日本大震災で実際に滑った量（１７メートル）をこの数値で割ると６６０年で満期を迎えたとの結果が出た。</p>
<p>　同様の手法で、より日本海溝に近い２つの場所でも計算したところ、周期はほぼ同じ６６０～７２０年。仙台平野の巨大津波は約４５０～８００年間隔で起きるとする地質調査の結果とも、おおむね一致した。</p>
<p>　今回の約７００年周期は滑り残った部分がすべて固着した場合の数字で、仮に半分だけ固着した場合は１４００年周期になる。自然現象の誤差も考えると、千年前後で繰り返されているようだ。</p>
<p>　スーパーサイクルの発想は２００４年のスマトラ沖地震（Ｍ９・０）で米国研究者が最初に提案したが、日本で議論は進んでいなかった。一方、宮城県沖の滑り残し現象はこれまでも知られていたが、地震を起こさずにズルズルと解消されるとみなされていた。</p>
<p>　佐竹教授は「巨大地震は起きないと漠然と考えていたが、可能性をきちんと検討することが大事だ。宮城県沖ではＭ７・５の繰り返しではなく、Ｍ９を基本とする発想の転換が必要。スーパーサイクルがあれば発生確率の計算も可能になる」と話している。</p>
<div id="attachment_384" class="wp-caption aligncenter" style="width: 510px"><img class="size-full wp-image-384" title="巨大地震のスーパーサイクル説が浮上" src="http://nankai-jishin.com/nankai1/wp-content/uploads/2011/10/supersaikuru.gif" alt="巨大地震のスーパーサイクル説が浮上" width="500" height="500" /><p class="wp-caption-text">巨大地震のスーパーサイクル説が浮上</p></div>
<p>続き＞＞　<a href="http://nankai-jishin.com/archives/386" target="_self">巨大地震の謎は解明できたのか②　南海トラフ「大連動」</a></p>
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		<title>1944年 東南海地震の津波断層の証拠を発見</title>
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		<pubDate>Tue, 04 Oct 2011 03:55:51 +0000</pubDate>
		<dc:creator>東南海・南海地震</dc:creator>
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		<description><![CDATA[海洋研究開発機構(JAMSTEC)と東京大学、高知大学は10月3日、南海トラフ地震発生帯掘削計画に従事している地球深部探査船「ちきゅう」が、1944年の東南海地震の津波断層を特定する物的証拠を発見したことを共同で発表した [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>海洋研究開発機構(JAMSTEC)と東京大学、高知大学は10月3日、南海トラフ地震発生帯掘削計画に従事している地球深部探査船「ちきゅう」が、1944年の東南海地震の津波断層を特定する物的証拠を発見したことを共同で発表した。今回の発見は、日米主導で2003年より行われている多国間国際協力プロジェクト「統合国際深海掘削計画」の「第316次航海・南海トラフ地震発生帯掘削計画ステージ1」(画像1)によるもの。4ステージに分けて、紀伊半島沖熊野灘において南海トラフに直交する複数地点を掘削する計画で、ステージ1は2008年に終了した。なお、今回の成果は、米地質学会誌「GEOLOGY」10月号に掲載予定。<span id="more-373"></span></p>
<div id="attachment_376" class="wp-caption alignright" style="width: 321px"><img class="size-full wp-image-376" title="1944年に起きた東南海地震の断層" src="http://nankai-jishin.com/nankai1/wp-content/uploads/2011/10/tunamidansou.gif" alt="1944年に起きた東南海地震の断層" width="311" height="550" /><p class="wp-caption-text">1944年に起きた東南海地震の断層</p></div>
<p>過去の巨大地震の海底地震断層とその活動履歴の推定は、古文書や陸上に残された痕跡などから類推するのが一般的だ。しかし、地震対策などを効果的に進めていくためには、海底地震断層を特定し、確度の高い活動履歴に基づいて大作を策定していくことが重要となる。そのためには、過去の巨大地震についての位置と時間を正確に記録している痕跡の確認が課題だが、海底の調査は時間と費用がよりかかるのは説明するまでもない。</p>
<p>今回の研究では、強い地震動によって海底表層が破砕される「ブレッチャ化」に着目して(画像2)、その検出が進められた。泥層の破砕であるマッドブレッチャは、目視確認が困難なため、医学用でもお馴染みのX線を走査して試料の三次元内部構造を可視化する非破壊分析装置のX線CT(X線コンピュータトモグラフィ)による識別・確認が試みられた次第だ。</p>
<p>ステージ1にて採取した巨大分岐断層を含むコアについてX線CTで三次元組織分析を行ったところ、巨大分岐断層の上盤側(画像1)表層部である海底面から80cmまでの間に、明瞭に識別される5層のマッドブレッチャが存在することが確認された。なお、このコアについては、より深い部分の断層本体が過去に地震性すべりを起こしていた痕跡が見つかっていることは、2011年4月に発表済みだ。</p>
<p>一方、断層の下盤側コアには、マッドブレッチャはほとんど含まれていないことが判明。南海トラフに卓越する逆断層型の地震では、断層の上盤側が強く揺さぶられ、被害が上盤側に偏ることが確認されており(2008年の宮城・岩手内陸地震、1999年の台湾中部地震など)、マッドブレッチャが巨大分岐断層の上盤側にだけ分布しているという事実は、巨大分岐断層が地震動の原因であったことを意味する。</p>
<p>さらに今回発見された5層のマッドブレッチャについて、半減期22.3年の「鉛210」と半減期5730年の「炭素14」による放射年代測定も実施。結果、最も直近のマッドブレッチャの年代は、1950年±20年であり、1944年の東南海地震と一致することが判明した(画像)。</p>
<p>また、それより下位の古いマッドブレッチャの年代は、約3500～1万年前であり、歴史記録に記された地震と一致するものは確認されていない。これは、この巨大分岐断層では、約100～150年感覚といわれる南海地震の周期よりも、より長周期の大きな地震活動のみが記録されている可能性を示唆している。</p>
<p>今回の成果は、過去の巨大地震について、深海底のどの断層がいつ動いたのかを物証から検証することを実現したものだ。これにより、巨大地震発生の際に巨大分岐断層が動くことも想定して地震規模の推定を行えるようになるため、より正確な被害規模の推定が可能になることが期待されている。</p>
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		<title>津波から生きのびるために　東日本大震災 体験談</title>
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		<pubDate>Wed, 20 Jul 2011 07:15:18 +0000</pubDate>
		<dc:creator>東南海・南海地震</dc:creator>
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		<description><![CDATA[お台場の東京臨海広域防災公園で8月20日～9月4日に開かれていた「そなエリア　ボウサイウィーク！」という防災イベント。「宮城県南三陸町語り部の会」が、被災地のメッセージを伝えてくれる講演を行いました。そこでのレポートを抜 [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>お台場の東京臨海広域防災公園で8月20日～9月4日に開かれていた「そなエリア　ボウサイウィーク！」という防災イベント。「宮城県南三陸町語り部の会」が、被災地のメッセージを伝えてくれる講演を行いました。そこでのレポートを抜粋でご紹介します。（防災・防犯ラボの主任研究員・ナカヤマさんのレポートより）<br />
<span id="more-342"></span><strong>●陸の孤島から無事生還</strong></p>
<p>　お話をして下さったのは、宮城県南三陸町語り部の会の後藤一磨さん（63歳）。地震当日と直後の模様を、生々しく語って下さいました。後藤さんは高台に避難して命拾いしましたが、避難した場所は陸の孤島状態でした。食料、水はない。携帯はつながらない。テレビ、ラジオもない。自衛隊の助けも届かない。避難者の中には常備薬を切らしたお年寄りも少なくなく、業を煮やした後藤さんはその場にあった軽トラックを運転し、5時間かけて助けを求めに行きました。</p>
<p>　たどり着いた南三陸町は壊滅状態で、当然ながら行政は機能していません。そこで、現地に到着していた自衛隊に救助要請を直談判しました。結果、ヘリコプターを避難場所まで飛ばしてもらうことができ、全員無事助かったそうです。それにしても、驚くべき行動力です。</p>
<p><strong>●生死を分けたのは「津波てんでんこ」</strong></p>
<p>　後藤さんの話は、「津波で死んだ人、助かった人、その差は何だったのか」に及びます。今回の講演で最も気になっていた点です。生死を分けたのは、シンプルに「津波てんでんこ」を実践したかどうかでした。「てんでんこ」とは、「てんでんばらばらに」を表し「人にかまわず1人で高台へ逃げろ」という意味。「一族を存続させるためにも、1人だけでもとにかく早く高台へと逃げろ」「自分の命は、自分の責任で守れ」という意味も含みます。さらには「他人を助けられなかったとしても、それを非難しない」という暗黙の約束事にもなっているのです。</p>
<p>　他人に構わず、自分だけでも逃げて助かる。そのための気のきいたコツだとか、目からウロコのノウハウなどありません。あの時津波によって亡くなったのは、せっかく避難をしたのに身内を心配して家に戻ったり、貴重品やタンスの現金を取りに帰ってしまったりした人が多かったのです。</p>
<p>　さらに驚いたのは、死んだ人の中には“そもそも逃げなかった”人もいたこと。「あの津波で逃げないなんて!?」とわれわれのような部外者が感じるのは、きっと後の状況を知っているからなのでしょう。津波の恐怖を知っている東北沿岸在住の人でさえ、予想ができなかった。それほど想定外の津波だったようです。</p>
<p><strong>●全速力で走れば、津波から逃げられるのではないか？</strong></p>
<p>　内陸育ちの私は、水害に遭った経験がなく津波の怖さを知りません。（子どもじみていると思いつつも）心のどこかで「思い切りダッシュをすれば、逃げ切れる人だっているんじゃないか？　若者や足に自信がある人なら、なんとか助かるんじゃないか？」という疑問を捨てきれずにいました。</p>
<p>　「自分の足なら、逃げれるかも」と思ったことのある人は、私だけではないような気がします。愚問とは百も承知で後藤さんに聞いてみました。「（健常者が）全速力で走れば、津波を目視してからでも逃げきれたりしないでしょうか？　例えば、普段ジョギングをしていて、足腰に自信がある人ならどうでしょうか？」。「ノー」後藤さんは即答でした。</p>
<p>　水深10メートルほどの沿岸部では津波のスピードは時速40～50キロ。「津波とヨーイドンでかけっこをしても、逃げ切れはしない。つべこべ言わず、欲を出さず、津波警報を待たず、ましてや津波を見ようなどと思わず、とにかく高台に逃げなさい」</p>
<p>　ちなみに、100メートル走の世界記録保持者ウサイン・ボルトでさえ最高スピードは時速約37キロ。あのボルトですら、津波にはかないません。いわんや常人は絶対に逃げ切れないと断言できます。</p>
<p><strong>●津波が、階段を駆け上がって襲ってきた</strong></p>
<p>　また、今回の津波はスピードが速かっただけでなく、そのパワーも並外れていました。階段で建物の上層（もしくは緩やかな坂のてっぺん）に避難して「やれ、ひと安心」となったところに、斜面をものともせずに駆け上がってきた濁流に飲まれて亡くなってしまったケースもありました。さらには、避難した建物の下の階に猛スピードの津波がぶつかり、まるでダルマ落としのように建物ごと持って行かれ、上の階が下にたたき落とされて水没するケースもありました。逆に、斜面ではなく崖のように垂直に切り立った場所に逃げた（よじ登った）人の多くは、無事だったそうです。</p>
<p>　講演の終盤では、海外や国内からの支援に涙ながらに感謝の言葉を述べる後藤さん。いまだ仮設住宅での生活を余儀なくしているとのことで、なんとか踏ん張って生活を取り戻していく決意を話していました。</p>
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		<title>今なお残る　「昭和南海地震」津波の跡</title>
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		<pubDate>Wed, 09 Feb 2011 07:12:28 +0000</pubDate>
		<dc:creator>東南海・南海地震</dc:creator>
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		<category><![CDATA[和歌山]]></category>
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		<description><![CDATA[和歌山県串本町串本で鉄工所を営む取渕宏さん（69）が住んでいた空き家で、1946年12月21日の昭和南海地震による津波の跡が見つかった。地上約80センチの高さまで浸水した跡が、壁にくっきりと残っている。
　取渕さんは自宅 [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>和歌山県串本町串本で鉄工所を営む取渕宏さん（69）が住んでいた空き家で、1946年12月21日の昭和南海地震による津波の跡が見つかった。地上約80センチの高さまで浸水した跡が、壁にくっきりと残っている。<span id="more-319"></span><br />
　取渕さんは自宅の向かいにあるこの空き家に30年ほど前まで住んでいた。取り壊すことになり、たんすを動かしたところ、しっくいの壁に浸水した跡が線になって残っていた。取渕さんは「跡が残っていることは子どもの時に親から聞いていたが、長年置いていたたんすを動かして思い出した」と話す。</p>
<p>　南海地震が発生したのは取渕さんが5歳のころ。早朝に串本小学校の裏手にある通称「西の岡」まで避難したことを覚えているという。取渕さんは「避難するとき、木の電信柱がゆらゆらと揺れていて恐かった。船が陸地に打ち上げられていたのを覚えている」と当時を振り返った。</p>
<p>　昭和南海地震で旧串本町内には高さ2・5～5・5メートルの津波が来襲した。死者9人、負傷者16人、家屋倒壊128棟、家屋流失41棟、浸水家屋は832棟に上った。</p>
<p>　取渕さんの家の付近は海抜4メートルほどの住宅地で、約150メートル離れた場所に串本地区津波避難タワーがある。町総務課の防災対策室によると、東南海地震と南海地震が同時発生すれば、町沿岸に4～9メートルの津波が到達し、同町串本では3～5メートルの浸水が予想されている。防災対策室は「昭和の南海地震の時よりも大きな津波が来ると予想されているので、注意してほしい」と呼び掛けている。</p>
<div id="attachment_322" class="wp-caption aligncenter" style="width: 379px"><img class="size-full wp-image-322" title="昭和南海地震の津波跡" src="http://nankai-jishin.com/nankai1/wp-content/uploads/2011/02/tunamiato.jpg" alt="昭和南海地震の津波跡" width="369" height="286" /><p class="wp-caption-text">昭和南海地震の津波跡</p></div>
<p>参考記事：<a href="http://nankai-jishin.com/archives/310">神戸市にも南海地震の津波跡</a></p>
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		<title>「富士川河口断層帯」地震規模はＭ８・０クラス　東海地震との連動も</title>
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		<pubDate>Tue, 01 Feb 2011 09:48:24 +0000</pubDate>
		<dc:creator>東南海・南海地震</dc:creator>
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		<description><![CDATA[東海地震の想定震源域の東隣に位置する「富士川河口断層帯」について、政府の地震調査研究推進本部（地震本部）は昨秋、東海地震と同時に活動する可能性が高いと発表しました。従来の長期評価を見直したもので、東海地震と連動する可能性 [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>東海地震の想定震源域の東隣に位置する「富士川河口断層帯」について、政府の地震調査研究推進本部（地震本部）は昨秋、東海地震と同時に活動する可能性が高いと発表しました。従来の長期評価を見直したもので、東海地震と連動する可能性を明らかにしたのはこれが初めて。活動すると地表には最大１０メートル程度の段差が生じると想定されています。<span id="more-316"></span></p>
<p><strong>■富士川河口断層帯とは？　活発な活断層　想定ずれ幅は国内最大規模</strong></p>
<p>　東海地震は、フィリピン海プレート（岩板）と陸側のユーラシアプレートの境界で発生するマグニチュード（Ｍ）８クラスの海溝型地震。富士川河口断層帯は、駿河湾のプレート境界にできた浅い海溝（駿河トラフ）の北側延長線上にあり、これまでも東海地震との関連が論議されていた。</p>
<p>　地震本部は平成１０年に長期評価を公表していたが、調査資料が質・量ともに十分でないとして見直し作業を進めていた。長期評価部会のメンバーとして見直し作業に携わった産業技術総合研究所の吉岡敏和・活断層評価研究チーム長は「非常に特殊で活発な断層帯であることが改めて分かった」と話す。</p>
<p>　吉岡さんによると、富士川河口断層帯の周辺では、富士山が噴火した際の溶岩流などが厚く堆積（たいせき）して陸地を形成。大小２０余りの活断層は、東海地震の震源域があるプレート境界から地表に向かって延びる「分岐断層」と考えられている。</p>
<p>　活動の原動力は地下のプレート運動だ。沈み込む海側プレートに引きずられて断層帯の東側は沈降し低地に。それに伴い西側は褶曲（しゅうきょく）山脈のように盛り上がり、高さ１００～３００メートルの丘陵地帯となっている。</p>
<p>　断層がずれる量は、１千年当たり上下方向に約７メートル。吉岡さんは、「日本の活断層の基準では、１千年に１メートルずれるとＡ級にランクされる。富士川河口断層帯は日本で１、２番目に大きいずれ量で、運動は非常に活発といえるだろう」と解説する。</p>
<p><strong>■地震規模はＭ８・０クラスで段差は最大１０メートル　東海地震との連動も　</strong></p>
<p>　今回の見直し作業で、断層帯の長さは前回より６キロ延びて「約２６キロ以上」に改訂された。活動履歴にかかわるデータの解釈が分かれ、２つのケースに基づいた評価・想定が報告された。過去の平均活動周期を約１５０～３００年とみるケースａと、約１３００～１６００年とするケースｂだ。</p>
<p>　ともに地震の規模はＭ８・０程度だが、ケースａでは断層のずれの量が１～２メートル程度、今後３０年の発生確率が１０～１８％なのに、ケースｂはずれが１０メートル程度、確率が２～１１％としている。周期の短いケースでは、ひずみエネルギーを小出しにしていると考えられるという。</p>
<p>　気になるのは東海地震との連動だ。過去発生した東海地震はＭ７・９～８・４で、これに富士川河口断層帯の活動によるＭ８・０程度の地震が同時発生したら、被害も増えるのだろうか。</p>
<p>　吉岡さんは「政府が東海地震で想定している震度が大きく変わることはない」という見解を示す。長さ１５０キロを超す東海地震の震源断層に、２６キロの断層帯が及ぼす影響は小さいというのが根拠だ。</p>
<p>　また、東海地震と必ず連動するとはかぎらない。１８５４（安政元）年の安政東海地震では、富士川河口断層帯は活動しなかった。</p>
<p>　地表に達する断層帯は、東海道新幹線や東名高速が横切っている。震度への影響は小さくても、最大１０メートルの段差で東西交通の大動脈が分断されると、被害が長期化する可能性はある。吉岡さんは「まだ解明できていないことは多く、今後も調査が必要だ」と話した。</p>
<div id="attachment_317" class="wp-caption aligncenter" style="width: 402px"><img class="size-full wp-image-317" title="富士川河口断層帯" src="http://nankai-jishin.com/nankai1/wp-content/uploads/2011/02/fujikawadansou.jpg" alt="富士川河口断層帯　東海地震と連動も" width="392" height="561" /><p class="wp-caption-text">富士川河口断層帯　東海地震と連動も</p></div>
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		<title>南海地震発生で神戸市にも津波到来！</title>
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		<pubDate>Fri, 28 Jan 2011 06:28:00 +0000</pubDate>
		<dc:creator>東南海・南海地震</dc:creator>
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		<description><![CDATA[神戸市は１月２７日、同市中央区の旧外国人居留地で、江戸時代に発生した南海地震の津波で堆積した砂の地層が見つかったと発表した。マグニチュード（Ｍ）８を超えたとされる１７０７年の宝永地震か１８５４年の安政南海地震の痕跡とみら [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>神戸市は１月２７日、同市中央区の旧外国人居留地で、江戸時代に発生した南海地震の津波で堆積した砂の地層が見つかったと発表した。マグニチュード（Ｍ）８を超えたとされる１７０７年の宝永地震か１８５４年の安政南海地震の痕跡とみられ、市は「南海地震の津波が神戸まで達した証拠。今後の防災につなげたい」としている。<span id="more-310"></span></p>
<div id="attachment_313" class="wp-caption alignright" style="width: 176px"><img class="size-full wp-image-313" title="過去の南海地震で神戸市にも津波の痕跡" src="http://nankai-jishin.com/nankai1/wp-content/uploads/2011/01/koubetunami.jpg" alt="過去の南海地震で神戸市にも津波の痕跡" width="166" height="231" /><p class="wp-caption-text">過去の南海地震で神戸市にも津波の痕跡</p></div>
<p> </p>
<p>地層は海岸線から約５００メートルの同市危機管理センター建設予定地で発見、同志社大の増田富士雄教授（堆積学）が鑑定した。地下約１・５メートルの砂の層で、泥がほとんど含まれておらず、海から運ばれたとみられる。砂粒が南北の方向に将棋倒しに並んでいることから、川などの氾濫によるものではなく、津波の強力な水流に運ばれたとみられる。</p>
<p>　この地層の上下に明治期に整地された層と江戸初期の層を確認。堆積物の年代を絞り込んだ結果、宝永地震と安政南海地震のいずれかによる津波の痕跡の可能性が大きいと判断した。</p>
<p>　また、砂の層は当時の標高２メートルの部分にあたることも判明。江戸時代の津波被害については、大阪や和歌山などについて文献などに記録が残っているが、神戸が被害にあったことを示す文献などはなく、同市は神戸にも津波被害があっことを裏付ける資料として注目している。</p>
<p>　増田教授は「年代が比較的よく分かっており、地震による津波の被害を理解するうえで意義がある」と説明している。</p>
<p>（関連記事）　<a href="http://nankai-jishin.com/archives/319">昭和南海地震の津波跡（和歌山）</a></p>
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		<title>東南海地震・南海地震　体験者から聞き取り調査</title>
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		<pubDate>Mon, 27 Dec 2010 07:51:08 +0000</pubDate>
		<dc:creator>東南海・南海地震</dc:creator>
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		<description><![CDATA[近い将来発生が予想される東海・東南海・南海地震に備え、和歌山県は昭和の東南海地震（1944年）と南海地震（1946年）の体験者から聞き取り調査を進めている。津波の怖さなど「記憶」を映像や音声に「記録」し、次代に伝承するの [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>近い将来発生が予想される東海・東南海・南海地震に備え、和歌山県は昭和の東南海地震（1944年）と南海地震（1946年）の体験者から聞き取り調査を進めている。津波の怖さなど「記憶」を映像や音声に「記録」し、次代に伝承するのが狙い。体験談は本年度中に編集し、小学生用の教材や啓発資料に活用する。　<span id="more-296"></span></p>
<p>　昭和の南海地震（1946年12月21日）から64年目。和歌山県の防災教材作りに協力した住民は、地震や津波の恐ろしさ、体験を通して得た教訓を伝えている。</p>
<p>　地震は午前4時19分に発生。田辺市新庄町橋谷地区の南明治さん（78）は、跳び起きて裏山に駆け上がった。見下ろしても真っ暗で何も見えなかったが、「バンバン」と何かが衝突する音が聞こえたという。「津波そのものよりもそれによって流されてきた材木や船が大きな被害をもたらしたのだろう。海水がひいた後、自宅に戻ると庭に小舟があった」と振り返る。</p>
<p>　津波がひいた後には、どこからか流れてきたサツマイモがたくさん落ちていた。それを拾ってきて焼き、空腹をしのいだ。</p>
<p>　「とにかく逃げること。そのための準備を平生から整えておくことが大切」と話す。</p>
<p>　同市新庄町跡之浦地区の谷本晋一さん（73）は、父、姉、弟との4人暮らしだった。地震発生時、父親に手を引っ張られてやっと目が覚め、弟と一緒に裏山へ走った。いつも遊び場にしていた山だったので迷うことなくたどりつけた。父親は米を、姉は衣服を持って後から上がってきた。</p>
<p>　今でも目に焼き付いているのは、海水がものすごい音を立ててひいていくときの光景。「ザザーッという激流のような音で、すごい力だった。文里湾が空っぽになったという話も聞いた」。</p>
<p>　終戦直後だったので空襲警報の訓練は経験があったが、地震の避難訓練はしたことがなかった。でも皆、津波が来ることは知っていて高台へと逃げた。</p>
<p>　「昔のように山で遊ぶ子どもがいないし、山道の整備も行き届いていない。いざという時すぐに高台まで逃げられるように、跡之浦地区では避難路の整備を進めている」と話す。</p>
<p>　県総合防災課は「多くの方が当時のことを克明に覚えており、積極的に話してくれたのでありがたかった。でも、避難の意識はまだまだ低い。まず逃げるという意識を持ってほしい」と話している。<!--  interest_match_relevant_zone_end  --></p>
<p>　体験談は県ホームページで公開するほか、各地の防災講座の資料や展示に活用する予定。</p>
<p>※（参考）東海・東南海・南海地震（マグニチュード8・6相当）が冬の午前5時に同時発生した場合、県は死者5008人、負傷者8348人、建物全壊・焼失8万4771棟の被害を想定している。津波の第1波到達は最も早い串本町で6分</p>
<p>　　関係リンク：　「<a href="http://www.pref.wakayama.lg.jp/prefg/011400/index.html">防災わかやま</a>」　「<a href="http://www.pref.wakayama.lg.jp/prefg/011400/bousai/pamph/pamphlet.html">東南海・南海地震に備えよう</a>」　</p>
<p>　</p>
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