10月, 2009Archive for

1946年 昭和南海地震

ごく近い時期の発生であったものとしては、1946年(昭和21年)12月21日午前4時19分04秒、和歌山県潮岬南南西沖78km(北緯32度56.1分、東経135度50.9分、深さ24km)を震源として発生したM8.0の昭和南海地震があります。 昭和南海地震では、地震発生直後に津波が発生し、主に紀伊半島・四国・九州の太平洋側などに襲来した。地震や津波被害が激しかった地域は、高知県中村市(現四万十市南部)、須崎市、高知市のほか、和歌山県串本町、海南市などであった。四万十市では、市街地の8割以上が地震動で生じた火災等により壊滅したほか、串本町や海南市は津波による壊滅的な被害を受けた。死者は、行方不明者を含めて1,443名(高知県679名、和歌山県269名、徳島県211名)、家屋全壊11,591戸、半壊23,487戸、流失1,451戸、焼失2,598戸に及んだ。 (参考記事)高知市の震災直後の状況

津波避難タワー建設 東南海・南海地震対策

近い将来の発生が心配されている東南海・南海地震の津波から地域住民を守ろうと、和歌山県印南町が避難タワーの建設計画を進めている。場所は昭和の南海地震(1946年12月)で犠牲者を出した同町印南の浜区で、2010年2月の完成を目指している。町は「高齢者や逃げ遅れた方に利用してもらい、被害を防ぎたい」としている。 町総務課によると、昭和の南海地震の町内の死者は17人で、多くが浜区など印南川沿いの住民だったという。印南町では東南海・南海地震が発生した場合、20分ほどで津波の第1波が到達すると予想されているが、浜区では避難場所としている高台まで遠い住民もいることから、町が印南川の河口に近い場所にタワーを建設することを決めた。   タワーは鉄骨で高さ4・85メートル。屋上にあるステージは広さ約35平方メートルで、1平方メートル当たり2人、計約70人が津波発生から数時間避難しておけることを想定している。  土地は紀州日高漁協の所有だが、浜区が漁協から無償で借り受けている。建設費用は約920万円だが、半分が国の補助。町総務課は「昭和の南海地震で被害を受けた地域なので、住民の...

プレート境界型地震 「東南海・南海地震」

地震にはおもに、「プレート境界型地震」と内陸部の活断層が原因となる「活断層地震」二つのタイプがある。東海地震は前者のタイプにあたります。 海溝やトラフでは、海をのせたプレートが、陸をのせたプレートの下に沈みこんでいる。その際、陸側のプレートの先の部分を引きずりこんでいく。ゆがみが限界に達した時、陸側のプレートがはね上がって、巨大な地震が発生する。これを「プレート境界型地震」もしくは「海溝型地震」といい、以下のような特徴があります。 ●M8以上の巨大地震になる。 ●被害の範囲がとても広い。 ●震源域が海の下なので、海底が動き、大きな津波が発生する。 ●同じような場所で数十~数百年おきに地震が発生する。そのため予測できる可能性がある。   実際に、東海地震~東南海・南海地震のケースでプレート名を当てはめてみると以下のようになります。 ①海側のフィリピン海プレート(1)が毎年数cmの割合で陸側のユーラシアプレート(2)の下方に潜り込む。 ②ユーラシアプレートの先端部が引きずり込まれることでひずみが蓄積する。 ③ひずみが限界に達すると、ユーラ...

1944年 昭和東南海地震

1944年(昭和19年)12月7日に三重県志摩半島南南東沖約20kmを震源としてM7.9~8.0クラスの大地震が発生した 主に、遠州灘沿岸(東海道)から紀伊半島(南海道)に渡る一帯で被害が集中した為に、「東南海地震」と呼ばれている。尚、このとき、いわゆる「東海地震」は発生していないが、その2年後の1946年(昭和21年)12月21日に昭和南海地震が発生している。 地震による家屋の倒壊、地震後に発生した津波により、三重県、愛知県、静岡県を中心に1223名の死者・行方不明者を出した。太平洋戦争の最中でもあり、戦意高揚に繋がる報道以外の情報は統制され、記録自体が消滅・散逸していることなどから、被害の全体像が把握しにくい地震である。また、被害のあった地域は、航空機産業の中心地的な存在であったため(名古屋市にある三菱の工場など)、軍用機の生産に多大な被害を受けることになる。 数少ない記録から、三重県津市、静岡県御前崎市、長野県諏訪市で震度6、近畿から中部までの広範囲で震度5を観測していた事が確認されている。また、地震後の津波では尾鷲が壊滅した。最大波高は、尾鷲市賀田地区で記録された9...

もし、大地震が起こったら・・・ 【外出編】

平日の昼間に地震が発生した場合、多くの人がを自宅以外で被災することとなります。 本記事では、外出時の対処方法をまとめてみました。 【オフィス・オフィス街】 営業や昼食時などオフィス街の中を移動している場合、割れたビルのガラスや、老朽化した看板類が落下してくる可能性があります。頭部を保護しながら、安全な場所に避難しましょう。また、オフィス内で被災した場合は、窓際やロッカー・資料棚などから離れ、机の下などに入り身を守ります。  【学校】 営業グラッときたらすぐ机の下に入り、その脚をしっかりつかみましょう。壁から物が落ちたり、蛍光灯やガラスが割れて飛び散ることもあります。椅子の座布団や防災頭巾があればそれで頭を守りましょう。揺れがおさまったら、すぐに教室を飛び出さず先生や職員の指示にしたがって行動しましょう。 (参考)子供用の防災頭巾                                      学校・保育所・一般家庭での備蓄が増えている背もたれ・座布団兼用タイプ 【車を運転中】 急ブレーキをかけずに、ハンドルをしっかり握り、徐々にスピ...

もし、大地震が起こったら・・・ 【自宅編】

もし実際に、東海地震が発生したらどうしたらいいのでしょう?テレビやインターネットで色々な情報は見聞きしていますが、いざ自分が遭遇すると、冷静には行動できないものです。いつ被災しても慌てないように、場面別の対処方法を以下に整理してみました。   まずは、グラッときたらすぐ机の下に入り、その脚をしっかりつかみましょう。それが無理なら、座布団やクッション等で頭部を守りましょう。壁から物が落ちたり、家具や電化製品が倒れてきたり、ガラス片が飛び散ったりします。その危険からまず身を守りましょう。 【就寝中】 布団を頭からすっぽりかぶり頭を守ります。地震直後は、停電に加え室内の状況が大きく変わり、怪我をするケースも多いため、枕元に「携帯ラジオ」「スリッパ」「懐中電灯」を用意しておくと安心です。尚、昭和56年以前の木造建築物は耐震性が劣るケースが多いため、耐震検査のうえ必要な補強工事を行う、(建物の倒壊を想定し)2階を寝室とする等の配慮も必要です。 【お風呂やトイレに入っている場合】 風呂場やトイレは狭い空間を四方の柱で支えていることから、家の中でも比較的安全な場所であ...

1854年 安政大地震

安政元年11月4日(1854年12月23日)、駿河湾から遠州灘、紀伊半島南東沖一帯を震源とするM8.4という巨大地震が発生しました。この地震の32時間後にはM8.4と推定される安政南海地震が連続して発生したことから、次に起こるとされる東海地震~南海地震連動のモデルケースとされています。 この地震で被害が最も多かったのは沼津から天竜川河口に至る東海沿岸地で、町全体が全滅した場所も多数あった。また、甲府では町の7割の家屋が倒壊し、松本、松代、江戸でも倒壊家屋があったと記録されるほど広範囲に災害をもたらせた地震であった。  地震発生から数分~1時間前後に大津波が発生し、東海沿岸地方を襲った。伊豆下田、遠州灘、伊勢、志摩、熊野灘沿岸に押し寄せた津波で多くの被害を出した。伊豆下田では推定6~7mの津波が押し寄せ、948戸中927戸が流失し、122人が溺死したという記録が残っている。また、江浦湾でも6~7m、伊勢大湊で5~6m、志摩から熊野灘沿岸で5~10m大津波が襲来し数千戸が流失した。  特に伊豆下田では折から停泊中のロシア軍艦「ディアナ号」が津波により大破沈没して乗組員が帰国できな...

地球の4つのプレートが交差 地震大国「日本」

東南海・南海地震のメカニズムを知るには、まず日本で起こる地震の仕組みそのものを知る必要があります。既にご存知の方も多いとは思いますが、今一度、復習してみましょう。 日本は世界でも有数の地震国です。震度6弱以上の大きな地震が、2000年からほぼ毎年どこかで起こっています。2008年7月には岩手県でマグニチュード(M)6・8の地震(最大震度6強)、2009年8月には駿河湾沖の静岡地震等が記憶に新しいところです。どうしてこんなに地震が多いのでしょう。日本に住む限り、私達は地震を避けることはできないのでしょうか? 【地震は日本の宿命】 結論を先にいえば、日本は地震が多発する宿命にあります。それは、地球上で有数の地震発生地帯にあるためです。地球は、陸や海をのせた十数枚のプレート(岩板)で覆われていますが、各プレートは、それぞれちがう方向に年間数センチの速さで動いています。そのため、プレートどうしが押したり引いたりする巨大な力が働き、互いにせめぎ合い、この力が地震の原因となります。 さらに日本は、北米(北アメリカ)プレート、ユーラシアプレートなど、四つものプレートが集まる「プレ...