1946年12月21日に発生した昭和南海地震から65年。和歌山県串本町の沿岸にも津波が押し寄せ、同町串本の袋地区では逃げ遅れた子ども4人が犠牲になり、多くの家屋が流失した。当時、袋地区に住んでいた2人の女性の体験談をご紹介します。
■「津波の音忘れられない」
同町串本の大水崎地区に住む西栄子さん(76)は、津波で当時6歳の妹、香津子さんを亡くした。地震は午前4時19分に発生。強い揺れを感じ、揺れが収まった後、外に出た。近所の男性が「津波が来るぞ」と大声で叫んでいるのを聞いた。栄子さんは7人きょうだいの長女。幼い弟や妹は両親が手を引いたり、背負ったりして逃げ、他のきょうだいはそれぞれ走って裏山へ向かった。
津波の第1波は「シャブシャブ」と静かな音を立てて足元をぬらした。一番先に家を出た栄子さんは家族の中では最初に裏山に上がったが、続いて上がってきた次女は服がぬれていた。きょうだいを連れた父母は体が浮き上がるほど波を受けたが、何とか逃げた。波は次々にやって来て、第3波が最も高かった。「ギイギイ」と家が流される音が聞こえた。
家族がようやく逃げおおせたと思っ...