津波's tag archives

東日本大震災 全体の92%が水死

東日本大震災で被害の大きかった岩手、宮城、福島3県で、震災から1か月間に検視などが行われた死者1万3135人のうち、水死が92・5%に上ったことが警察庁が今月19日発表したまとめでわかった。 約8割が住宅倒壊などによる窒息死・圧死だった阪神大震災と異なり、ほとんどの犠牲者が津波で命を落とした状況が明白になった。検視が行われ、身元が判明した犠牲者の65%は60歳以上が占め、多くの高齢者が逃げ遅れたことも改めて浮かんだ。  同庁によると、今月11日までに検視を終えたのは女性7036体、男性5971体で、損傷などで性別がわからない遺体も128体あった。9割超の1万2143人が水死で、8068体が確認された宮城県の水死割合が95・7%と、岩手県(87・3%)、福島県(87・0%)を上回った。圧死や全身骨折を含む損傷死など(計578人)の多くも、津波で倒壊した家屋の下敷きになったり、流される間にがれきに衝突したとみられ、水から顔を出し助けを待つうちに凍死した人もいた。焼死は148人で、宮城県気仙沼市など激しい火災が起きた地域で多かった。  年齢別では60歳以上が7241人で...

今なお残る 「昭和南海地震」津波の跡

和歌山県串本町串本で鉄工所を営む取渕宏さん(69)が住んでいた空き家で、1946年12月21日の昭和南海地震による津波の跡が見つかった。地上約80センチの高さまで浸水した跡が、壁にくっきりと残っている。  取渕さんは自宅の向かいにあるこの空き家に30年ほど前まで住んでいた。取り壊すことになり、たんすを動かしたところ、しっくいの壁に浸水した跡が線になって残っていた。取渕さんは「跡が残っていることは子どもの時に親から聞いていたが、長年置いていたたんすを動かして思い出した」と話す。  南海地震が発生したのは取渕さんが5歳のころ。早朝に串本小学校の裏手にある通称「西の岡」まで避難したことを覚えているという。取渕さんは「避難するとき、木の電信柱がゆらゆらと揺れていて恐かった。船が陸地に打ち上げられていたのを覚えている」と当時を振り返った。  昭和南海地震で旧串本町内には高さ2・5~5・5メートルの津波が来襲した。死者9人、負傷者16人、家屋倒壊128棟、家屋流失41棟、浸水家屋は832棟に上った。  取渕さんの家の付近は海抜4メートルほどの住宅地で、約150メートル離れた場所...

南海地震発生で神戸市にも津波到来!

神戸市は1月27日、同市中央区の旧外国人居留地で、江戸時代に発生した南海地震の津波で堆積した砂の地層が見つかったと発表した。マグニチュード(M)8を超えたとされる1707年の宝永地震か1854年の安政南海地震の痕跡とみられ、市は「南海地震の津波が神戸まで達した証拠。今後の防災につなげたい」としている。   地層は海岸線から約500メートルの同市危機管理センター建設予定地で発見、同志社大の増田富士雄教授(堆積学)が鑑定した。地下約1・5メートルの砂の層で、泥がほとんど含まれておらず、海から運ばれたとみられる。砂粒が南北の方向に将棋倒しに並んでいることから、川などの氾濫によるものではなく、津波の強力な水流に運ばれたとみられる。  この地層の上下に明治期に整地された層と江戸初期の層を確認。堆積物の年代を絞り込んだ結果、宝永地震と安政南海地震のいずれかによる津波の痕跡の可能性が大きいと判断した。  また、砂の層は当時の標高2メートルの部分にあたることも判明。江戸時代の津波被害については、大阪や和歌山などについて文献などに記録が残っているが、神戸が被害にあったことを示...

震源の浅くても津波発生(慶長地震)

東海地震など国が警戒する巨大地震の震源域がある「南海トラフ」で約400年前に起きた「慶長地震」は、海底下10キロまでの非常に浅い所に震源があった可能性が高いことが、東京大の古村孝志教授(地震学)らの研究でわかった。  慶長地震は、関東~四国の広い範囲に津波被害を与えたが、現在この海域で、震源の浅い津波地震の発生は想定されていない。古村教授は「巨大地震とは別に、津波地震対策も必要だ」と指摘している。 特に、1605年2月3日に起こった「慶長大地震」は、地震による揺れや地震動そのものの被害は少なかったが、津波による溺死者は最大で1万人を超えると推定されている。「大きな揺れ=津波」は人々の脳裏に刻み込まれているが、揺れをそれほど感じなかったため、多くの人が逃げ遅れたと考えられる。 これに対し、東南海~南海地震を引き起こすとされる「南海トラフ」は、駿河湾から四国沖の海底に延びる深い溝。海のプレートが陸のプレートの下に沈み、境界にひずみがたまって、90~150年周期で巨大地震(東海、東南海、南海地震)が起きている。震源の深さは、より深く10~30キロと推定される。 大き...

津波の恐怖 高さ数十センチでも危険!

南米チリの大地震による津波は日本にも到達したが、沿岸自治体の指示や勧告に従って避難所へ向かう人は少なかった。専門家は「東南海・南海地震がいずれ起きることを考えれば、もっと危機感を持ってほしい」と指摘する。   高知県に津波の第1波が到達した直後の2月28日午後3時半ごろ、岡村真・高知大教授(地震地質学)は土佐市の海岸を高台から見て驚いた。サーフィンや犬の散歩をする人がいて、近くの学校ではサッカーの練習が続いていた。次第に海面が盛り上がり、隣の高知市では高さ30センチを観測。「岸壁を越えれば人や車が流されたかもしれない。実は危険な状況だった」  同じような光景はあちこちで見られた。海上保安庁が確認しただけでも、津波警報発令中に全国各地で計約1100人のサーファーらが海に出ていたという。  高知県の一部では全国で最も高い1.2メートルの津波が観測された。沿岸の13市町村は被害の恐れのある地域の4万1576世帯、9万1639人に避難勧告を出したが、避難所を訪れたのは約2%の1638人にとどまった。今回は地震発生から津波到達までほぼ1日かかっており、岡村教授は「事...

東海・東南海・南海地震 予測への取り組み

東海地方の陸域から紀伊半島沖、四国沖に震源域が連なる南海トラフの海溝型地震は、どんなメカニズムで連動型の超巨大地震になるのかを探ろうと、文部科学省は新規プロジェクトとして「東海・東南海・南海地震の連動性評価研究」を平成20年度予算案から盛り込んでいる。24年度までの5年計画で海底の観測網を大幅に拡充し、3地震が連動する可能性や地震、津波被害の高精度予測などを目指している。 【マグニチュード8クラス 死者2万8千人】 東海、東南海、南海地震は、日本列島が乗る陸のプレート(岩板)とフィリピン海プレートの境界で起こる海溝型地震で、単独でもマグニチュード(M)8級の巨大地震となる。政府の地震調査研究推進本部によると、今後30年以内の発生確率は東海地震(M8程度)が87%、東南海地震(M8・4前後)が60~70%、南海地震(M8・4前後)が50%と見積もられ、今世紀前半のうちに発生する可能性が高い。  過去の発生パターンから、100~150年間隔で発生する「周期性」と3地震が歩調を合わせて活動する「連動性」が知られ、宝永地震(1707年、M8・6)のように3つの震源域が...

チリ地震津波(2010年)にみる課題・教訓

南米チリで2月27日に起きた地震=マグニチュード(M)8・8=による津波は、ほぼ1日後に日本列島に到達した。国内で142人が犠牲になった。1960年のチリ地震津波に比べると地震、津波の規模が小さく、「大津波警報」「避難勧告」など防災機関や自治体による注意喚起の効果もあって、今回は死者・行方不明などの人的被害はなかった。今回のチリ地震津波から、課題と教訓を探ったみた。 【危険な思い込み】 東大地震研究所のアウトリーチ推進室は、地震発生から1週間後の今月6、7日、2060人を対象に「津波に関する意識調査」を実施した。調査方法はインターネットによるウェブアンケートで、避難勧告地域などに対象を限定せず、日本人全体の意識や報道の影響力などを探った。  津波に関する基本的な設問では、沿岸に近づくと津波は「高くなる」(81・5%)、津波は第1波だけでなく第2、3波が来ることが「ある」(94・8%)など、高い正答率を示した。沿岸での波の高さについては13・3%、第2、3波の襲来は36・3%の人が「今回の報道によって知った」と回答している。同推進室の大木聖子助教は「地震発生から津波の到...

大阪で過去津波10メートル? 古代地層に痕跡

飛鳥時代に築かれた国内最古のダム式灌漑(かんがい)用ため池として知られる大阪府大阪狭山市の狭山池一帯で、古代の地層から海に生息する植物性プランクトン「珪藻(けいそう)」の化石が多数確認されていたことがわかった。同池は大阪湾の海岸線から約10キロ離れているが、研究者は古代、中世の東南海・南海地震による津波の爪痕(つめあと)と推測。大阪府は「現在では狭山池の津波被害はあり得ない」とするが、近い将来の発生が懸念される両地震の威力が、古代遺跡から伺い知れる貴重な事例となりそうだ。   海抜70メートル前後の狭山池は7世紀前半に築かれ、奈良時代に高僧の行基が改修。今も灌漑用として機能している。  大阪狭山市教委などが昭和63年~平成8年に発掘調査。5世紀以降と16世紀以降のそれぞれ数百年間の地層から珪藻の化石が確認され、海で生息する珪藻が最大で全体の5割近く占めていたことが判明した。8世紀ごろと17世紀前後の大規模な地震による噴砂や地滑りの痕跡も確認された。  大阪府文化財センターの山口誠治主査(保存科学)は、内陸にかかわらず海洋性の珪藻が多い点に着目。古文書などから...

昭和東南海地震の航空写真発見

末太平洋戦争末期の昭和19年12月発生の「昭和東南海地震」で津波被害に遭った三重県尾鷲市(当時尾鷲町)を、地震直後に米軍が撮影した航空写真が米国立構文書館に残されていたことが分かった。 被災記録は戦時中の報道管制でほとんど残っていなかったが、国土地理院などの研究グループが写真を分析し、浅い谷状の地形で特に大きな津波被害が出ていたことなどが判明した。  写真は米軍偵察機が地震から3日後、高度約1万メートルから撮影。津波で被害が出た市街地や陸に打ち上げられた船が写っていた。標高データと重ね合わせて確認した結果、標高3メートル以下の範囲が大きく被災。  特に浅い谷状になっている市街地南部で海側に向かって家屋が流され、壊滅的被害に遭ったことが判明。津波の引き波が集中したと推定できるという。  

昭和南海地震 体験談

繰り返し起こるプレート型地震においては、過去の被災状況を把握しておくことも、次の大地震に備えるうえで、非常に大切なことです。津波被害が深刻だった昭和21年の昭和南海地震。徳島市がまとめた体験談から一部抜粋のうえ掲載させて頂きます。   私の家は、昔の中二階建てで、この辺りの家は、全部で60戸くらいしかなかった。ほとんどが田圃で、その間にポツポツ家があった程度だった。地震の揺れは、かなりのものだった。当時、私の父親が「こんな大きな地震は生まれてこのかた初めてじゃ」と言っていたのを覚えている。揺れの方向は、特に横揺れがひどかったように思う。近所の米の土蔵が半壊したのを覚えている。 近所の佐々木さん宅の隣に小さな消防ポンプと半鐘があり、警防団の人がその半鐘を激しく叩いていたのを聞いて、津波が押し寄せてくることを知った。津波が押し寄せてくるときに沖の方から「ゴーッ」というものすごい音がした。5回くらい、引いては寄せる激しい音がしていたように記憶している。津波は、2回目が大きかった。  私の父親は、家で飼っていた農耕用の牛を連れ、母親は、小さい子供たちを連れて、大原町の千代ヶ...